私、橋本瑠亜は今、東京からずーっと南にある星見ヶ島にいる。
バカンスではなく、島にある全寮制の学校へ通うために、だ。
割り切れない気持ちを抱えたまま来たので、この離島には憧れも思い入れもない。
ここに来て、流行の最先端に囲まれた都会の環境が一変した。なないろクリップという地元アイドルグループで、レッスンと華やかなライブをする以外は、とても不満だ。
だが今はこれ以上、文句をいうのはやめておこう。
「なぜならば、通販が届いたからだ~っ」
放課後のダンスレッスンを終えて、くたくたになりながら寮に帰ってくると、通販で頼んだファッションブランドの服が、大きな段ボールで届いていたのだ。
ここのところ授業の休み時間のたびに運送会社の追跡システムで商品の発送状況を見ていたのに一向に島へ届かないのでモヤモヤしていた。やっと届いた以上、文句を垂れている場合ではない。
「わあああっ」
中を開けてみると、当たり前だけど、沢山の洋服が入っていた。一緒に頼んだアクセサリーと靴も、ちゃんと入っている。自分で注文した物とはいえ、私にはこの段ボールが宝箱に見えた。
あまりの嬉しさに、私は段ボールの中に頭を突っ込んだ。
「すーはー……んん~、都会の匂いがする」
顔を上げて、机の上の手鏡に映った自分をふと見ると、頬が恍惚としていた。少し恥ずかしい。
「あとはこの新しいファッションを身に纏って、彼氏とデートができれば完璧だけど」
肝心の彼氏がいないのよね。
服の鮮度は日ごとに落ちていくので、今回は恋の駆け引きをして恋人を作る通常の手順は使えない。となれば、オシャレをして一緒に歩ても大丈夫な人をデートに誘ってみるしかないのだけど。
そんな人、マネージャーの笹井さんしかいないのよね。
重度のアイドルオタクという点を除けば、仕事も真面目だし、優しくてまっすぐな人だから、その……悪くない男性だ。
恥を忍んで、頼んでみようかな。
結果からいえば、笹井さんは快諾してくれた。
デートとは言わず、適当な理由を付けて誘った。だってデートなんて、恥ずかしいじゃない。
今はその待ち合わせ時間の五分前。実は三十分以上も前から来ている。
楽しみだったんだから、仕方ないわ。
待ち合わせ場所に来てから、たくさんの男の人と目が合った。中にはデートをしているのに私をジロジロ見て彼女に怒られた人もいる。よしよし、異性からの評判はいいようね。
これは笹井さんも今日の私を見て惚れちゃうかも。ふふん♪
「橋本さん、早いね。待たせた?」
「ひゃああ!」
なんで恥ずかしいことを考えているときに笹井さんが現れるのよ。
「俺なんか驚かせるような事した?」
「べ、別に。待ち合わせの時間より前に来る人なのね、笹井さんって」
「もしかして俺は橋本さんからルーズな人間だと思われていたのか? ふうむ、こうして時間を作らない限り、知り得なかった情報だな。今日は誘ってもらって良かった」
デートはこれからなのに、早くも帰り際に言うような事を言われてしまった。
こういう状況には慣れていないのね……その点だけは私も一緒だけど。
まあ、いいわ。とりあえずファッションを褒めて、笹井さん!
「今日は島の郷土を知りたいんだって? 星見ヶ島に興味をもってくれて嬉しいよ」
「……」
「橋本さん?」
「……なに」
「なんだか機嫌が悪くないか?」
悪いわよ、笹井さんがいつも通りで、私の服に興味を持ってくれないから。
ああ、でもこの人は、初めて会ったときもこうだった気がする。
女の子が考える事に、あまりに鈍感すぎる。
私から話題を振らなければ、新しい服に気付いてもらえないかもしれないわね。
「笹井さんは、休日に女の子と会うといっても、いつもと変わらないのね」
「そんなに格好がおかしい?」
「おかしくはないけど」
「そっか。じゃあ、えっと、今日行く場所の事なんだが──」
ええっ、今日の服装についての会話は終わりなの?
せめて私の服装も見てから話を終わらせなさいよバカ~~っ。
結局その日、私は笹井さんからファッションの感想をもらえなかった。
こうなったら、笹井さんに『その服、可愛いね』って絶対に言わせてやる。
通販で頼んだ服はまだまだあるし、またデートに誘ってやるから、覚悟しなさいよね。
「笹井さん、次の週末も空けておいてね。島のこと、まだぜんっぜん分からないんだから」
「ええっ?」
次の週末も、笹井さんと島の観光スポットを回った。
その次も、更にその次も。
けれど笹井さんは、一度も私のファッションを褒めてくれることはなかった。
「毎週橋本さんに誘ってくれるのは嬉しいけど、毎回不機嫌だよな」
四回目のデートで、笹井さんがそんなことを言った。誰のせいよ、誰の。
今日もばっちりキメてきたのに、何も言ってくれないんじゃあ、不機嫌にもなるわよ。
今日は島の海のことを教えてもらうために、海岸にきた。それからすぐに、通りすがりのおじさんに声をかけられる。
「お似合いだね~」
「俺たちそういう仲じゃないですからっ」
「そ、そうなの? はは、そりゃ悪かったね~」
申し訳なさそうに笑いながら立ち去っていくおじさん。
なにも全力で否定することないじゃない。二度と会わないような人だったんだから、適当にお礼を言ってやり過ごせば済んだことなのに。笹井さんは、私と恋人に間違われるのがそんなに嫌なの?
「ふう、勘違いされなくて良かった」
「ぷ~っ」
「なんで頬を膨らませるんだ」
「知らないっ」
ずんずん前に行くと、突然、ばちゃっという音がして、全身に泥がかかった。
砂遊びをしていた子供に、誤って砂をかけられたのだ。
「……嘘でしょ」
「ごめんなさい、お姉ちゃんっ」
「次からは、周りをよく見てから遊んでね……」
「うんっ」
「橋本さん、服が……」
せっかくキメてきた新しい服が、泥で汚れてしまった。
すぐに寮へ帰って洗濯をすれば、元の綺麗な服に戻るだろう。この程度、どうってことない。
それなのに、無性に悲しくなって、みるみる視界が涙で滲んでいくのは、なぜだろう。
「私はオシャレな服を着て、彼氏とデートしたかっただけだったのに」
言葉と一緒に、涙がこぼれた。
「今は島にいるから好きなファッションを追えないけど、通販で、やっと来て……この服で彼氏とデートできたら、気分も最高なのにって、ただ、それだけなのに、こんな、服、汚れて……笹井さんも、全然新しい服に気付いてくれないし、恋人に間違えられるの嫌みたいだし、うっ……ひっく」
「うわわ、ゴメン! オシャレしてることは気付いてたよ。それが、似合っていることも」
「じゃあどうして言ってくれなかったのっ」
「橋本さんはオシャレをしているのが普通だと思っていたし、女の子の服に疎い俺が、本土でモデルをやっていたキミの服を褒めるのも変な気がして。あと、恋人に間違えられるのが嫌なんじゃなくて、橋本さんはアイドルなんだから、恋人がいるって誤解されたら大変なことになるから、さっきは否定したんだ」
「ふえ……」
思いもかけないことを言われて、ちょっと涙が引っ込んだ。
そんなところで生真面目にならなくたって良かったのに。
「レディに対するマナーがなってない」
「ゴメン……けど、俺を彼氏に見立ててくれていたのは、ちょっと嬉しかった。また誘ってもらえるように、服のセンスを磨いておこうかな」
なにを言っているんだか、服のことを褒めてくれたのだから、そこでデートは終了よ。
でも、笹井さんはちゃんと私のファッションに気付いてくれていた。
恋人に間違えられるのが嫌って訳じゃなかった。
それだけなのに、悲しい気持ちが消えて、もう一度くらいなら誘ってもいいかな、なんて思えてくる。
「そうね、今度はちゃんと服のことを褒めてくれるなら、また誘ってあげるわ」
年上のマネージャーに対して、口を尖らせて言う、ちょっと生意気な私。
でも、笹井さんは、そんな私の言葉でも、とても嬉しそうだった。